所在地:塚本6-4-25
撮影日:2010.10.19
大念仏宗の法明上人が教信上人の画した阿弥陀仏画を祀るようにとの、お告げをうけたのが始まりとされている。後に如来塚と呼ばれていたが、明治30年頃、新淀川の工事によりこの地に移された。
石造物 最初は3体の碑で、その中に三字の梵字を刻んだ石があったと伝えられる。左から3つ目の石に三字の梵字が刻んである。
27123-40
27123-41
所在地:十三東2-1-1(木川墓地内)
島左近は石田三成で家臣で、慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で奮戦したが戦死。残された女性たちがこの地に住んだといわれる。道悦は子孫で中津川治水(淀川)の功労者。
島左近の墓 道悦の子孫が昭和9年に建立。
島道悦の墓 道悦の業績を称えた碑文が刻んである。
所在地:三津屋北2-3-5
撮影日:2010.10.15
香具波志神社が明治42年に周辺の神社を合祀した際に、三津屋村にあった神社が御旅所になったと思われる。
所在地:東三国1-4
撮影日:2009.4.29
長柄橋架橋工事が頓挫した613年に当地の長者「巖氏」が自ら人柱となって、その後工事は完成し大水になっても橋は流れなかった。顕彰碑の立つこの光明ヶ池跡地は人柱の場所といわれる。
27123-32
所在地:新北野1(十三大橋北西詰)
撮影日:209.4.29
中国街道を通る人たちが淀川を渡るための渡し場があった。明治11年(1848年)に木橋の十三橋ができたため渡しはなくなった。