本堂 27114-1
平成元年(1989年)に再建された。
(所在地)東中島5-27-44
(撮影日)2009.6.20
天平年間(729~748年)に行基によって創建された。又、聖徳太子によって開かれたとも伝わる。嘉吉元年(1441年)嘉吉の変で、室町幕府六代将軍足利義教(よしのり)が赤松満祐に暗殺され、その首が当寺に埋められた。翌年(1442年)に細川持賢が、義教と細川家の菩堤寺として再建した。
山門 27114-2
細川ガラシャ墓の墓 27114-3
細川忠興の妻であったガラシャは、石田三成らの豊臣方の人質になることを拒み、屋敷に火をつけ亡くなった。宣教師が遺骨を集め寺で埋葬した。
足利義教の首塚 27114-4
当山開山搭 27114-5
全景 27114-6
手前がガラシャ、真ん中が義教、右が開山搭
崇禅寺馬場の返り討ちで知られ、生田伝八郎に闇討ちで殺された遠城宗左衛門の仇討ちをこの地で行ったが、返り討ちに遭い亡くなってしまった。遠城兄弟の墓 27114-7
墓石 27114-8
2 27114-9
遠城治左衛門(右)と安藤喜八郎(左)の戒名が刻んである墓石(安藤喜八郎は安藤家の養子)
27114-10 遠城兄弟之塚