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(所在地)勝山北4-11
(撮影日)2009.4.28
地蔵堂前の道は俊徳街道で、古くは旧平野川が道を横切り、百済橋が架かっていた。この街道は俊徳丸g、高安から四天王寺に舞楽修行のて通った道で、地蔵尊も古くからこの地にあったと思われる。
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大峯山上三十三遍の入峰碑
入峰記念碑は道標も兼ねている石碑左すぐ十三(俊徳街道を東へ行くと十三街道へつながる) きしな堂(東大坂長楽寺にあった岸田堂のこと) 右平野道(旧平野川沿いにあった平野街道のこと)
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道標
俊徳街道に面して建てられた道標で、半分以上埋もれている。右兵た(東大阪の瓢箪山のとと思われる)
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地蔵尊
宝暦年間(1750年頃)以前に、お祀りされていたと伝わる。
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(所在地)勝山4-5-18
(撮影日)2011.3.19
旧岡村の御館神社跡で、仁徳天皇の高津宮の御弓場の跡とも伝えられ、仁徳天皇を御祭神としていた。明治43年(1910年)弥栄神社に合祀され、御旅所となり、社殿は茨稲荷神社となっている。
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御館神社跡の碑
境内にある碑で、神社の由緒が書いてある。
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大阪府農学校跡碑
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(所在地)勝山北3-13-30(生野区民センター)
大阪府が明治21年(1888年)農業指導者養成のため創建した農学校で、開校当時は堺市にあったが、明治23年にこの地に移転した。その後、都会化が進んだため、大正15年(1926年)堺市に再び移転し、府立大学農学部の前身となった。
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(所在地))鶴橋3-5-31
(撮影日)2011.3.14
昔は、「六道の辻」と呼ばれ、冥土の苦界である六道に通じるところから、大正の頃に道えお一本増やして七本とし、「七福の辻」となったが、その後、旧平野野川が埋め立てられ橋がなくなり、同時に道も一本なくなり、今も道は六本である。