(所在地)長柄東3
(撮影日)2010.5.8
淀川の下流では大川・中津川・神崎川の三流に分流していたため昔から幾度も洪水被害がおこっていた。明治29年(1896年)に淀川改修工事が着工され、毛馬閘門も大川への水量調整や土砂流入防止のため、明治37年(1904年)に工事開始し、明治43年(1910年)に完成した。閘門は淀川と大川の船往来のためで、洗堰は淀川の水を大川に流すためである。大正7年(1918年)、大川の水位低下により第一閘門は機能できず、第二閘門が行う。昭和43年、新水門完成により使用中止となった。平成20年に国重要文化財となる。
※淀川側閘門
※大川側閘門
※淀川改修紀功碑
明治29年に淀川改修が始まり明治42年に完成したのを記念して建てられた碑である。平成20年に国の重要文化財になった。
※旧洗堰
閘門と同時に完成した洗堰は淀川の水を大川に流すための施設で、10ヵ所の水通しがあったが、新しい洗堰のため北側の3分の2が撤去され、3分の1が残った。この施設も国の重要文化財である。
※沖野忠雄像
安政元年(1854年)、但馬豊岡藩の下級武士の三男として生まれ、明治3年(1870年)、大学南校(後の東京大学)に入学しフランス語を修得後、パリに留学して土木学を修得して明治14年に帰国した。明治16年に内務省土木局技師となり、明治29年に淀川改修の工事責任者となる。
※淀川左岸水害予防組合記念碑
組合は大正8年(1919年)設立された。
※眼鏡橋
淀川改修工事の掘削した土砂を毛馬から海老江まで運ぶため、明治35年(1902年)に長柄運河ができた。運河完成時は仮橋であったが、大正3年(1914年)に眼鏡橋が架けられた。昭和42年(1967年)、運河は埋め立てられ、橋としての役目は終わった。
※旧毛馬基標
淀川改修工事や大阪港築港の時に高さの基準になっていた標石で「毛馬元標」と呼ばれていたものである。
※係船環
閘門に入った船が水位の調整の時に上下に動かないように繋ぎ留めるためのものである。