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大阪府農学校跡碑
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(所在地)勝山北3-13-30(生野区民センター)
(撮影日)2011.3.19
大阪府が明治21年(1888年)農業指導者養成のため創建した農学校で、開校当時は堺市にあったが、明治23年にこの地に移転した。その後、都会化が進んだため、大正15年(1926年)堺市に再び移転し、府立大学農学部の前身となった。
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(所在地))鶴橋3-5-31
(撮影日)2011.3.14
昔は、「六道の辻」と呼ばれ、冥土の苦界である六道に通じるところから、大正の頃に道えお一本増やして七本とし、「七福の辻」となったが、その後、旧平野野川が埋め立てられ橋がなくなり、同時に道も一本なくなり、今も道は六本である。
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(所在地)鶴橋3-4-35
創建など詳しいことは不明であるが、社殿のそばの榎が御神木であるので、御神木をお祀りする神として建立されたと思われる。神社前の榎木橋の親柱が石造であるところから、明治7年以前に御神木である榎は存在していたと思われる。
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榎木橋の親柱
旧平野川に架かっていた橋で、昭和15年に川が埋め立てられた時に廃橋となった。
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(所在地)桃谷3-18-32
(撮影日)2009.4.28
幕末の慶応2年(1866年)に建てられた道標で、八尾の句宝寺を通って信貴山参詣のための道標である。
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御神木
樹林四百年と推定される椎の木で、木村重成が植えたと伝わる。
(所在地)桃谷3-21
木村家は大阪夏の陣で討死した木村重成の娘婿であった猪飼野左馬助の子孫だと伝わる。大地主で自宅から生駒山の下まで自分の土地で行けたという、17代目は高利貸しで「鬼権」と呼ばれ、府会議員になり、銀行も経営していた。
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