<所在地>江戸堀1-18-?
<撮影日>2012.12.4
<所在地>江戸堀川1-23-31
江戸堀の路地にある地蔵尊で、イチョウの木の根元にお堂があるが、詳しい由来などは不明である。他のところでは、大木を御神木として祠を建てお祀りしていることが多いが、この地のは違うようである。
<所在地>江戸堀1-4(阪神高速高架下)
<撮影日>2012.5.5
西横堀川に架かっていた橋で、東の高麗橋筋につなげる橋であったが、橋の対岸(西側)は江戸堀川になったいたため、斜め(南向き)に架けられた。橋は昭和39年に阪神高速道路の工事のため廃橋となった。親柱は昭和3年(1928年)に橋を架け替えた時のものである。
<所在地>江戸堀1-16-9(玉水教会北西側)
<撮影日>2011.12.4
明治5年(1872年)、前身となる西大組第一小学校として玉水小学校がこの地で創立した。明治20年(1887年)東江尋常小学校と改称し、明治29年(1896年)現在地に移転した。昭和18年(1973年)、西船場国民学校に改称、昭和21年(1946年)に4校を統合し、翌年に西船場小学校と改称して、今に至る。
<所在地>江戸堀3-6-49(江戸堀やまぐち北東)
<撮影日>2012.9.5
幕末の頃、大阪には薩摩藩が4ヶ所あったが、土佐堀川と江戸堀川に挟まれたこの地には、上屋敷と中屋敷があった。慶応4年(1868年)、幕府軍の攻撃を受ける可能性が生じたため自焼し、屋敷は消滅した。
<所在地>立売堀2-1(なにわ筋歩道上)
<撮影日>2012.10.11
立売堀川に架かっていた橋で、明治9年(1876年)に架けられた。明治期に架けられたので、明治橋という橋名になった。昭和2年に架け替えられたが、昭和31年の立売堀川の埋め立てに伴い廃橋となった。
<所在地>新町4-5-14(西区役所南西側)
西区役所前にある道標で、上部の四方に東西南北の方角が示してあり、さらに各方角の下には右・左・すぐという表示があり、近隣の地名が表示されている。建立年は不詳であるが、記されている地名から江戸時代後期のものと思われ、立っていた所もこの場所ではなく、西長堀川の橋の近くだと思われる。
<所在地>安治川1-1
<撮影日>2009.10.10
古川は開削前に流れていた川で、開削後も一部は残っていたが、昭和27年(1952年)府の防潮堤工事のため埋め立てられた。
江戸の材木商で、東廻り航路・西廻り航路を開いた河村瑞賢は、貞享元年(1684年)幕命により淀川の氾濫が頻発していた九条島の治水工事を開始し、川を蛇行させず、大阪湾に直接流れる新川を開削した。その後、新川はこの地が安らかに治まるようにと、安治川と名づけられた。碑石は残念石である。