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契沖の供養塔 近世国学の祖といわれる契沖は11才で出家。延宝7年(1679年)から11年間住職を務めた。
右から契沖の供養塔 師の(かいじょう)の墓・母の墓・兄の墓
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所在地:深江南3-16-28
撮影日:2009.4.10
文保2年(1318年)に大念仏寺(平野区)7世住職で融通大念仏宗の中興の祖であった法明上人が両親の菩提のため開基した。江戸時代になり荒廃していた寺は再建された。
雁塚(2基) 弓の名手であった清原刑部丞正次が冬の日に狩りに出かけ一羽の雁を射ち落としたが、その雁には頭がなかったが、翌年の冬n射ち落とした雌の雁の羽の下から雄の頭が出てきた。 その美談を聞いた法明上人が石塔を建立した。
延元4年(1339年)建立
弘長2年(1262年)建立
所在地:深江南3-7-6
貞和4年(1348年)の春に法明上人の前に現れた沙耶教信(480年前に亡くなった高僧)が「来年の6月16日の朝、極楽へ安らかに旅立つことができるでしょう」と言って消えた。そのお告げを聞いたのが、この辻であった。
境内社
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摂津笠縫邑後(右) 笠縫氏が大和国から菅(すげ)の多い深江の地に移り住んだ。
深江菅笠ゆかりの地(左) 菅笠の産地として深江は伊勢音頭で歌われるほど有名であった。