(所在地)神山町9-11
(撮影日)2013.3.21
承和10年(843年)、嵯峨天皇が崩御後、皇子の源融が、当地に「神野太神宮」と称した神社を創建した。延喜元年(901年)、菅原道真が太宰府に左遷される時に、当地の梅林を網敷(網を輪にして敷く)に座って鑑賞したという故事から、「網敷」の名が始まる。又、紅梅の下に祠があったので、「梅塚天満宮」と称した。正暦4年(903年)、神野太神宮と梅塚天満宮を合祀して、「北野天神社」となったが、その後、北野(喜多埜)の名は、梅田周辺を表す「きた」となり、「網敷」の名が残り、今の社名になった。
※正面鳥居
※本社
※喜多埜稲荷神社
創建は不詳で、社名はこの地が喜多埜と呼ばれていた頃につけられたと思われる。
※白龍社
※戦災の狛犬
社殿に向かって右側の青銅の狛犬で、大正4年に奉納され、昭和20年6月の大阪大空襲で、社殿は焼失したが、この狛犬は尾の部分が損傷を受けたが残った。
※萬載橋
安政2年(1855年)に造られた石橋で、神社の北にあった水路に架かっていた。
※筆塚
※従軍記念碑
日清戦争に北野村から出征した氏子の兵士の無事を祈って建立された。