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27116-100
(所在地)巽中3-18
(撮影日)2009..4.28
明治22年(1889年)の町村制の施行により、大地村・四条村・矢柄村・西足代村・伊賀ヶ村の五ヶ村が合併することになり、村名はこの地が大阪城から見て巽(東南)の方向になるので、「巽村」と命名あsれた。昭和30年に大阪市と合併して役場は廃止された。
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(所在地)巽西1-9
(撮影日)2011.3.14
治水対策のための平野川分水路は昭和4年(1929年)から開削工事を始め、昭和33年に完成したが、改修工事は昭和27年から12年間かけて完成した。
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(所在地)巽西3-9
(撮影日)2009.4.28
大地村の西端にあった神社で、「印地之宮」又は「西之宮」と呼ばれていたが、明治40年に巽神社に合祀された。神社の歴史は古く、日本書紀の仁徳13年「横野提を築く」との記述から、提の守護のため祀られた神社と思われている。
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正面鳥居
(所在地)巽南3-17-19
創建は不詳であるが、応神天皇を祀る旧大地村の八幡宮で、平安時代の古文書にも邑智(おおち)という集落名が載っているのえ、古くからある神社であると思われる。明治40年(1907年)周辺の五社を合祀し、村名から巽神社と改称した。
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参道にある鳥居
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豊川稲荷神社
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(所在地)巽南4-2
楠正長は楠正儀(まさのり)の三男で、文中元年(1372年)正覚寺村(平野区)で生まれた。22歳の頃より、楠一族の慰霊のため戦跡を巡り、応永19年(1412年)元の四条村で天神社があったといわれるこの地で陰棲し、名を四条居士と号した。後には、本願寺の巧如上人に帰依し、名を低願と改め、低願寺を建立した。
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楠正長旧跡記念碑
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歌碑
続古今和歌集で藤原光俊が詠んだ歌で、筆は儒学者並河誠所であり、平成13年に建立された。霜枯の横野ノ堤風冴へて入汐遠く千島鳴くなり