<所在地>江之子島2-2
<撮影日>2009.7.11
明治初期から昭和初期まで、天神祭の船渡卸は江之子島のこの地で上陸して千代崎の行宮(御旅所)まで行っていたが、戦後、地盤沈下により船が橋を通過できなくなり、昭和28年かrは大川を遡るようになった。
<所在地>江之子島2-1-3(西郵便局北東側)
<撮影日>2011.11.14
慶長5年(1600年)に開削され、西横堀川から分流して百聞堀川に流入していた堀川で、西区では最も古い堀川である。堀川には八橋が架かっており、上流の南側には解船業者が多くいたので、解船町とも呼ばれた。昭和31年に防潮堤工事のため埋め立てた。
<所在地>江之子島1-10(木津川橋北東側)
慶応4年(1868年)に川口と江之子島を結ぶ橋として架けられた。川口には運上所や慰留地ができ、江之子島には大阪府庁が建設されるなど行政の中心地となった。明治9年に橋は橋脚などの一部が鉄製となるが、明治18年の洪水で流失した。明治21年に鉄橋となり、大正2年の市電開通時にアーチ橋となる。
<所在地>江之子島1-9-15(マツダファミリーハイツ阿波座)
明治21年(1888年)市制が制定され、翌年の施行により大阪市が誕生した。明治31年に初代市長が選出されるまでに府知事が兼任し、市役所も府庁舎内にあったが、明治32年(1899年)に木津川橋東詰の江之子島庁舎に移転した。明治45年(1912年)には堂島庁舎に移転し、大正10年には現在の中之島庁舎に移転した。
<所在地>江之子島1-9
百聞堀川に架かっていた橋で、川の東岸で京町堀川との合流付近に雑喉場魚市場があった。明治7年(1874年)江之子島に大阪庁舎が完成し、翌年に橋は鉄橋となった。その後、幾度か改修されたが、昭和39年に百聞堀川の埋め立てにより廃橋となった。この親柱は大正11年の改修のもので、照明灯の部分は復元したものである。淀屋橋の「神宗」にも同じ親柱が保存されている。
<所在地>江之子島1-8
古くは、この地は砂州で「鷲島」と呼ばれ、漁船の出入りが容易な場所であったので、雑魚を売るための浜であった。元和年間(1615~1624年)に魚市となり、元禄年間(1688~1704年)に大坂三郷の生魚問屋が移転して魚市場となり、安永元年(1772年)に問屋株が免許され、公認市場となる。堂島米市場・天満青物市場と並び、大坂三大市場と称された。昭和6年(1931年)野田に大阪市中央卸売市場が開設されて移転した。
<所在地>立売堀6-8(木津川大橋南東側)
<撮影日>2013.3.15
昭和44年(1969年)に現在の橋が完成したが、この橋柱はそれ以前に架かっていた橋のもので、他に橋名板も残っている。