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(所在地)住道矢田8-3
(撮影日)2009.4.17
藤原不比等が建立して、僧玄肪が開基したと伝わる寺で、平安時代後期に兵火によって焼失した。この碑の立つ塚は、焼けた建物の灰で築かれたと伝わる。この地は中臣氏の家筋の氏地で、中臣須牟地神社とは、氏寺と氏神の関係であったと思われている。
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(所在地)住道矢田4-5-17(常栄寺)
塔心礎の柱穴の直径は67cmで、中央には深さ16cmの舎利孔があるところから、塔の高さは28mであったと推測されている。磁石の状態から奈良時代に造られたもので、焼けた跡もあるところから須牟地寺の塔心礎と思われている。
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(所在地)住道矢田2-9-20
藤原不比等が勅命で創建した神社で、中臣氏の祖先を祀った。延喜式式内社で、大社の社格をもつ神社であり、古くは、住之江に上陸した外国使節を酒で接待するための神社であった。
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(所在地)山坂1-18
(撮影日)2011.10.18
大化元年(645年)孝徳天皇は都を難波長柄豊崎宮に遷した。その宮の朱雀門から真直ぐ伸びる道を朱雀大路と称したが、京城を越えると「難波大道」と呼び名が変わり、飛鳥まで通じる道であった。
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(所在地)山坂1-11
住吉大社の神事を行う神馬の飼育は、古くは、田辺氏が行ってきたが、江戸時代になると住吉信仰が民衆に広がり、神馬の寄進も権力者から商人になり、神馬の飼育も田辺郷の住人が行うようになった。この塚は亡くなった神馬のたてがみを埋め、供養したものである。
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