柴理兵衛表功碑 27114-37
2 27114-38
摂津国分尼寺伝承地の碑 27114-33
創建当時は、紫島浄水場のあたりにあったが、浄水場建設のため移転した。
礎石 27114-34
本堂前にあるこの三個の礎石は、国分尼寺の時のものである。
27114-30
(所在地)柴島3-7-30(柴島神社内)
(撮影日)2010.4.25
江戸時代に柴島一帯では、淀川の流れを使って木綿を洗う、晒(さらし)業が盛んであった。文禄3年(1594年)には始まったといわれる晒業は、明治末頃は、大阪を代表する産業であったが、その後、河川改修や浄水場の建設により衰退した。
落葉塚 27114-17
貞享4年(1687年)松尾芭蕉が伊勢の多度大社を参拝した時に、詠んだ句である。文化10年(1813年)に建てられた。
宮人よ わが名をちらせ 落葉川 ばせを
西側の常夜灯(東中島4-7-11) 27114-21
東側の常夜灯(東中島4-8-12) 27114-22
灯籠(東中島4-6-2) 27114-24
27114-11
(所在地)東中島5-27-44(崇禅寺山門前)
(撮影日)2009.6.20
明治2年1月に大阪府から分立して摂津県となったが、同年5月には豊崎県と改名された。その年の3月から8月までの半年間は、寺の建物が県庁舎として使われていた。