<所在地>南堀江3-1(高台橋公園)
<撮影日>2009.6.9
藤井藍田は文化13年(1816年)に呉服と藍を商う「綿屋」に生まれ、家業を継いでいたが、田能村竹田から画を学び、廣瀬淡窓から誌文を学んでいた。又、国事にも関心を示し、諸国を巡り、安政3年(1856年)に帰阪して南堀江で私塾「玉生堂」を開いたが討幕派志士らが集まったため、慶応元年(1865年)新撰組に捕らえられ、拷問の末、獄死した。
<所在地>白髪橋交差点東側緑地
<撮影日>2012.5.5
西長堀川に架かっていた橋で、開削完成から明暦元年(1655年)の間に架けられた橋である。土佐藩が自国の「白髪山」のヒノキを売るために、この地に市場を設けたので、橋名になったとされる。
<所在地>靭本町1-18-12(天理教飾大分教会前)
<撮影日>2012.6.15
大坂町奉公所の与力で、陽明学者でもあった大塩は私塾の洗心洞の門人らと、天保8年(1837年)飢饉で苦しむ民衆を救い、政治腐敗を正す為に乱を起こしたが、失敗し、平八郎・格之助父子はこの乱の美吉屋五郎兵衛宅に潜伏したが、幕吏に包囲され自殺した。
所在地:山王1-10-17
撮影日:2010.7.20
終戦後このあたりは被害が少なかったため、数多くの演芸関係者が住むようになったの天皇寺(てんのじ)村と呼ばれた。
27122-12
明治天皇がこの地を行幸した時に、車を一時この場所に停めた所。
明治天皇聖ちょく(せいちょく)碑 天皇が行幸で訪れた場所を記念として建てられた碑。
所在地:岸里東1-7-15
撮影日:2010.7.10
1689年(元禄2年)に浄土宗の尼寺として創建された。境内には狂歌師佐藤魚丸(ぎょがん)をはじめ、「心中天網島」の紙治おさんや大阪相撲の猪名川弥右衛門の墓がある。
佐藤魚丸墓所