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教訓の墓
大笠吉五郎氏の墓で、墓石の左側面に暗号めいた文字が刻んである。意味は「人には辛抱が一番(第一)」文字を上から重ねると「金」という字になり、子孫に対しての教えとしている。
(所在地)東野田町3-2
(撮影日)2011.12.15
江戸時代頃、大阪の7ヶ所の墓地を供養のために巡る「七墓巡り」の墓地の一つが浦生墓地であった。この行事は、明治の初め頃まで続いていたが、墓地の移転などで消滅した。現在でも残っている墓地は、浦生と南浜の2ヶ所だけである。
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六地蔵尊
墓地入口付近にあり、文化13年(1813年)建立
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顕彰碑・句碑
橋の都島側は昔、桜と梅の名所であった。蕪村の句はその頃のことを詠んだ 源八を わたりてうめの あるじかな
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多宝塔
高野山光台院にあった塔を大正5年(1916年)に移築した。
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(所在地)中野町2-16-20(都島区役所前)
(撮影日)2011.12.7
京街道と同じく、京橋を起点とした街道で、元の場所はJR片町線片町駅西側で、京街道との分岐点に建てられていた。道標にあ天保15年(1844年)の銘が刻んである。