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行者社
所在地:太子橋(豊里大橋南詰淀川堤防上)
撮影日:2009.6.23
昭和45年の豊里大橋の開通で旭区太子橋と東淀川区豊里を結んでいた渡船がなくなった。渡船場跡にあるこの碑には「平太」と文字が刻んであるが、これは渡船の業者名である。
所在地:生江3(淀川堤防上)
昭和20年6月7日の大阪大空襲の時に多数の死者のうち身元不明の遺体千数百体を淀川の堤防で荼毘に付した。その冥福のため「千人つか」と個人の庭石に刻んで供養した。
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所在地:太子橋3(淀川堤防上)
淀川のこの辺りの河川敷で1959年(昭和34)に南北朝時代の軒瓦や室町時代の土器などが発見され、この周辺に寺院があったと推定された。当時の旧地名から「橋寺廃寺」と名付けられた。
所在地:赤川4(淀川堤防上)
周辺の川底からの出土品で鎌倉時代から室町時代にはあったと思われる、赤川寺(せきせんじ)別名「大金剛院」は天台宗の大伽藍の大寺であったが、大阪夏の陣の戦火で焼失した。
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所在地:赤川4-20
大阪夏の陣の戦火で炎上した赤川寺の境内に近江の日吉大社の分霊として祀っていた「山王宮」という社は類焼をまぬがれ、村の氏神となった。明治初年「日吉神社」と改称。
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