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教訓の墓
大笠吉五郎氏の墓で、墓石の左側面に暗号めいた文字が刻んである。意味は「人には辛抱が一番(第一)」文字を上から重ねると「金」という字になり、子孫に対しての教えとしている。
(所在地)東野田町3-2
(撮影日)2011.12.15
江戸時代頃、大阪の7ヶ所の墓地を供養のために巡る「七墓巡り」の墓地の一つが浦生墓地であった。この行事は、明治の初め頃まで続いていたが、墓地の移転などで消滅した。現在でも残っている墓地は、浦生と南浜の2ヶ所だけである。
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六地蔵尊
墓地入口付近にあり、文化13年(1813年)建立
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石造阿弥陀仏
墓地の奥にあり、黒く、ススけた棒になっている。
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拡幅された歩道
(所在地)中野町4(源八橋南側中ほど)
(撮影日)2011.11.8
昭和11年に橋が出来るまで、この地には橋はなく、江戸時代頃(元禄の頃)にあったとされる「源八渡し」が唯一の交通手段であった。この碑は平成10年の歩道拡幅工事完成に伴い設置された。
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顕彰碑・句碑
橋の都島側は昔、桜と梅の名所であった。蕪村の句はその頃のことを詠んだ 源八を わたりてうめの あるじかな
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源八橋
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(所在地)網島町1
(撮影日)2010.5.6
昭和53年に完成した斜張橋で、網島と天満を結ぶ自転車・歩行者専用橋になっており、浪速の名橋50選にも運ばれている。江戸時代頃には川崎の渡しがあった。明治10年に橋が架けられたが、明治18年の大洪水で流され、以後再建されなかった橋である。
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