« 2012年4 月 | メイン | 2013年9 月 »
<所在地>南堀江3-5-7(堀江中学校北東角)
<撮影日>2012.4.23
明治5年(1872年)西大組第18区小学校として開校し、明治12年に高薹小学校と改称した。昭和20年(1945年)大阪大空襲で校舎は焼失した。その後、昭和35年に堀江中学校となり、今に至る。この場所は江戸期には紀州藩邸があったといわれる。
<所在地>南堀江3-1(高台橋公園)
<撮影日>2009.6.9
藤井藍田は文化13年(1816年)に呉服と藍を商う「綿屋」に生まれ、家業を継いでいたが、田能村竹田から画を学び、廣瀬淡窓から誌文を学んでいた。又、国事にも関心を示し、諸国を巡り、安政3年(1856年)に帰阪して南堀江で私塾「玉生堂」を開いたが討幕派志士らが集まったため、慶応元年(1865年)新撰組に捕らえられ、拷問の末、獄死した。
<所在地>南堀江2-8(南堀江公園)
勧進相撲興行は江戸幕府に禁止されていたが、元禄年間に興行が認められ、大阪では、元禄5年(1692年)この地で最初に興行を行ったとされるが、他の文献では元禄15年(1702年)に堀江橋通での興行が始まりとされている。
<所在地>南堀江1-26-15
<撮影日>2012.10.11
明治22年(1889年)大阪電燈(株)(現・関西電力)は、この地に日本で初めて交流発電方式の発電所を完成させた。大正2年、宇治川電気(株)は発電所の隣のレンガ造りの道頓堀変電所を建設した。大正4年に発電所は廃止。昭和23年には発電所も廃止。
<所在地>南堀江1-26-26
この地は、高津神社の御供田であったが、元禄12年(1699年)博労町の難波神社のものとなる。明治40年に由加神社(岡山県倉敷市)の境外末社で、西道頓堀にあった堀江神社を合祀した。
<所在地>南堀江1-13(堀江公園)
元禄11年(1698年)西横堀川と木津川をつなぐ掘江川が河村瑞賢によって開削され、堀江新地ができた。 新地での幕府の優遇策により、色々な文化などが起こり、学者や文化人を生み出した。昭和35年(1960年)に市街地開発のため埋め立てられた。
<所在地>白髪橋交差点東側緑地
元和年間(1622年頃)に土佐藩の懇願により、立売堀川で木材市が始まり、その後、西横堀川の白髪町に土佐藩が蔵屋敷を構えると、この地でも市が許可され、諸国の材木が集まるようになり、川の両側に木材商が店を構え、昭和にいたるまで材木市が開かれていた。