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<所在地>土佐堀2-4-9(三井倉庫西側)
<撮影日>2009.7.11
明治5年(1872年)司法省管制による臨時・司法・出張・府県・区の5つの裁判所のうち司法裁判所と改称し、明治8年(1875年)全国4ヶ所に設置された。当初は旧金沢邸で開庁されたが、翌年に薩摩藩蔵屋敷跡である当地に移転した。
<所在地>土佐堀2-4-9(三井倉庫南側)
<撮影日>2009.8.16
薩摩藩は大坂に蔵屋敷を3ヶ所に構えていたが、この地の屋敷は「上屋敷」で、他に「中屋敷」・「下屋敷」があった。明治元年(1868年)幕府からの蔵屋敷の明け渡し要求を拒否したため、会津藩兵の襲撃を知り、屋敷に火をつけて消失させた。
<所在地>土佐堀1-1-4
<撮影日>2012.6.14
昭和5年(1930年)神戸の岡本公会堂や摩耶観光ホテルの設計をした今北乙吉の設計で建てられた。正式名称は「山内香法律特許事務所」という、平成12年(2000年)国登録有形文化財に指定された。
<所在地>土佐堀1-5-10
<撮影日>2012.6.18
明治4年(1871年)廃藩置県で廃止された蔵屋敷を長州藩主毛利敬親が高野耶麻金剛峯寺に寄進したので、高野山は準別格本山「三蔵院」を明治13年にこの地に移転して高野寺と改称し、毛利家歴代藩主を祀った。以後、高野寺三蔵院は長州大師とも呼ばれるようになった。
<所在地>土佐堀1-5(土佐堀1交差点北東)
<撮影日>2010.4.26
天下の台所と称された大阪には、米や物産品などの売買のため、各藩が蔵屋敷を中之島や堂島周辺に構えていた。特に、土佐堀川と江戸堀川に挟まれたこの辺りには多くの蔵屋敷があった。明治4年(1871年)廃藩置県により、蔵屋敷は廃止された。
<所在地>靭本町1.2
<撮影日>2012.6.29
昭和6年に閉鎖された靭海産物市場などの跡地で、戦後、占領軍により約3万坪が接収され、常用飛行場となったが、昭和27年の講和条約発効により、大阪市に返還された。同年には公園工事に着工し、昭和30年に開園した。