« 2012年4 月 | メイン | 2013年9 月 »
<所在地>京町堀2-11(江戸堀中公園)
<撮影日>2009.8.16
天明3年(1783年)丹後で生まれ、22歳の時に江戸と京都で蘭学や医学を学び、文化14年(1817年)35歳で大坂に移り、医院を開業したが、妻まかせで、橋本宗吉の絲漢堂で学びながら、自身も思々斎塾を開塾し、塾から緒方洪庵などを輩出した。当時、坂本町と呼ばれたこの地に最後まで居住した。
<所在地>京町堀2-3
明治19年(1886年)明治義塾の吉田一士や法律関係者らが、大坂控訴院長の小島惟謙の賛同を得て、この地の願宗寺を仮校舎として創立した。現在の関西大学の前身となる学校である。
<所在地>江戸堀1~北区中之島2
<撮影日>2012.6.18
四ツ橋筋の中之島の其々架かる2橋で、渡辺橋は堂島に、肥後橋は江戸堀に架かっている。2橋共、昭和41年(1996年)地下鉄四ツ橋線工事のため架け替えられ、現在に至っている。
<所在地>江戸堀2-7(土佐堀2交差点南東側)
<撮影日>2009.7.11
慶応3年(1867年)香川で生まれ、名を亀四郎t言っていたが、17歳の時に名を"外骨"と改名した。明治34年(1901年)この地で公権力の批判を目的とした「滑稽新聞」を月2回発行していたが、明治41年(1908年)173号で廃刊となった。
*史跡全景
<所在地>江戸堀2-8-29(花乃井中学校北東角)
この地は江戸時代に津和野藩蔵屋敷があった所で屋敷内にあったこの井戸からは良質な水が湧いていた。 明治元年(1868年)明治天皇の大阪行幸の際、津和別院(北御堂)行在所に「玉水」として献上され、「此花乃井」の名称が与えられた。大正13年に旧江戸堀小学校の校舎工事のため、石蓋をされ埋められ、現在地に旧跡として保存された。
*井戸の井桁
*花乃井橋跡
江戸堀川に大正9年(1920年)市電開通のために架けられた橋で、昭和30年に江戸堀川は埋められ、橋も無くなったが橋柱は保存された。