« 2012年4 月 | メイン | 2013年9 月 »
<所在地>川口2-9(安治川堤防沿)
<撮影日>2012.6.18
明治3年(1870年)川口運上所内に開設され、神戸まで電信線を架設し、兵庫運上所などの連絡に利用された。この電信線の架設は日本最初であり、大阪電信発祥の地である。
<所在地>川口2-9(安治川堤防沿い)
慶応4年(1868年)大阪港が開港し、外国人居留地や港湾施設などが造られたが、河口港であったため水深が浅く、大型の船が入港できず、多くは神戸港に入港するようになった。明治期後半には天保山(築港)に新しい港が造られ、移転した。
大阪税関の前身となる川口運上所は、慶応3年(1867年)税関事務と外交事務を行うため設置された。慶応4年に五代友厚が初代「外国官判事」に就任し、明治5年(1872年)川口運上所は「大阪税関」と名称が変わり、大正9年に築港に移転した。
*明治天皇聖躅碑
<所在地>川口2-4-48(生コン会館前)
元禄11年(1698年)河村瑞賢が安治川開削を完成させた後、橋が架けられた。明治6年(1873年)居留地への通行のため、橋桁が旋回して大型船の船行できる可動式の鉄橋が架けられたが、明治18年の大洪水の時、危険回避のため爆破された。
<所在地>川口1-5
<撮影日>2009.7.11
明治元年(1868年)明治政府は外国の貿易商人などのために、この地に治外法権の居留地を造成したが、港湾としての条件が不備だったため、神戸の居留地に多くの商人が移り、明治32年(1899年)には居留地は撤廃された。