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<所在地>立売堀2-1(なにわ筋歩道上)
<撮影日>2012.10.11
立売堀川に架かっていた橋で、明治9年(1876年)に架けられた。明治期に架けられたので、明治橋という橋名になった。昭和2年に架け替えられたが、昭和31年の立売堀川の埋め立てに伴い廃橋となった。
<所在地>新町4-5-14(西区役所南西側)
<撮影日>2012.5.5
西区役所前にある道標で、上部の四方に東西南北の方角が示してあり、さらに各方角の下には右・左・すぐという表示があり、近隣の地名が表示されている。建立年は不詳であるが、記されている地名から江戸時代後期のものと思われ、立っていた所もこの場所ではなく、西長堀川の橋の近くだと思われる。
<所在地>安治川2-1・此花区西九条2-1
<撮影日>2009.10.10
明治18年(1885年)の淀川大洪水で爆破された安治川橋は大型船の船行に支障をきたすため架橋されず、源兵衛渡船が川の両岸を結んでいたが、河底隧道が計画され、昭和10年に着工し、昭和19年に完成した。日本最古の沈埋式トンネルで、車両用・歩行者用各2基のエレベータ、歩行者用階段を備えていたが、昭和52年車両通行は中止となり、現在は歩行者・自転車用となっている。
<所在地>安治川1-1
古川は開削前に流れていた川で、開削後も一部は残っていたが、昭和27年(1952年)府の防潮堤工事のため埋め立てられた。
江戸の材木商で、東廻り航路・西廻り航路を開いた河村瑞賢は、貞享元年(1684年)幕命により淀川の氾濫が頻発していた九条島の治水工事を開始し、川を蛇行させず、大阪湾に直接流れる新川を開削した。その後、新川はこの地が安らかに治まるようにと、安治川と名づけられた。碑石は残念石である。
<所在地>阿波座2-3-35(明治小学校南東角)
<撮影日>2012.3.14
明治41年(1908年)大阪市電南北線の敷設のため、立売堀川に架けられた橋で、堀川に架かっていた9本の橋としては、最後に架けられた橋である。昭和4年(1929年)に架け替えられ、昭和31年には堀川の埋め立てに伴い廃橋となった。