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<所在地>江之子島1-7
<撮影日>2009.7.11
元和3年(1617年)京の伏見から移住してきた町人達が開削した川で、当初は伏見川と呼ばれていた。元禄の頃には、川の北岸に雑喉場魚市場ができ、近辺の漁船が来るようになった。昭和30年に大阪府の防潮工事のため埋め立てられた。
<所在地>江之子島1-1(エルベロワイヤル西側)
江戸時代初期に戦乱で荒廃した大坂再生のため、松平忠明が、商人2名の保証による銀札を発行して資金調達を行い、元和3年(1617年)に開削し、西横堀川と木津川をつないだ。この堀川の開通により物流の利便性が良くなり、各藩の蔵屋敷ができた。
<所在地>本田3-2-12
<撮影日>2012.6.18
地蔵堂がこの場所に2堂あるのは不詳であるが、名称の「避難」から察すると、大津波・空襲・台風などの災害で、別の場所から移されてきたものと思われる。
*山門
<所在地>本田3-4-18
後水尾法皇が師僧と尊でいた龍渓禅師が、寛文10年(1670年)8月15日に開基した黄檗宗の寺である。同年8月23日、この地に大暴風雨が来襲して僧侶達が水死し、禅師も座禅のまま水定死した。
*龍渓禅師の石碑
*本堂
*流渓禅師の墓
*龍渓禅師水定遺跡