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*亀の墓
寛文10年の開堂法要の時に、大亀が花を背負って祝福に来たという故事から、山号が「堂亀山」となったと伝わる。この墓は弘化4年(1847年)に13代目萬宗和尚が建立した。
*飯田直好の墓
海運業者で幕府御用達差配でもあった商人で、莫大な私財を安治側の治水や寺院再建などの社会貢献のために使った。
*大塚先生紀恩碑
明治15年に航海法を教える航海学校を設立した人物で、この碑は教え子が明治42年に建立した。
*甦龍(そりゅう)の楠
昭和20年の空襲で多大な被害を受けた楠が、その後、甦り今の姿になった。
*猫地蔵
愛猫家の人が自宅が火災の時に猫に助けられたので、猫の死後、猫地蔵をつくり供養した。
<所在地>本田1-4-16(西屋内プール北東)
<撮影日>2012.10.9
今は千代崎から尻無川となtぅているが、以前は跡碑がある付近から木津川が分流して尻無川となり、中洲が形成され寺島とよばれた。明治初期には、この中州に松島遊郭ができた。昭和25年以降に府の防潮工事に伴い、跡碑から千代崎まで埋め立てられた。
<所在地>九条2-6-2(九条東小学校南東角)
<撮影日>2012.6.18
この地は海抜が低く、大雨が降ると家屋が浸水することが多くあった。昭和9年(1934年)室戸台風が襲来し、強風と高潮で木造校舎の多くが倒壊と浸水し、先生あ生徒が多数犠牲になったことを記録した。
<所在地>本田1-9-3
<撮影日>2009.10.10
慶安2年(1649年)九条島を開発した幕府役人香西哲雲によって建てられた寺で、朝鮮通信使の宿舎としても使われていた。寺名は九条開発の時に、「三股の竹」から阿弥陀仏が現れ、寺名としたとされる。