<所在地>千代崎1-1(松島公園少年広場南側)
<撮影日>2012.3.14
古くは、淀川などの河口には難波八十島と呼ばれるほど砂島が点在しており、九条島もその一つであった。元は葦島と呼ばれていたが、江戸初期に香西皙雲により新田開発され、儒学者の林羅山が「衢壌島(くじょうじま)」と命名した。室町時代から始まった朝鮮通信使は一時途絶えていたが、江戸幕府になり、李氏朝鮮との友好親善のため、慶長12年(1607年)から将軍の代替わりの時などに12回派遣され、九条島に到着した時には大坂はお祭り騒ぎになった。