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<所在地>川口1~江之子島1.2
<撮影日>2013.3.15
慶応4年(1868年)頃、川口運行所・居留地建設促進のために架けられた橋である。明治9年(1876年)に鋼鉄製の橋となり、大正6年(1917年)には本町橋と同じデザインの橋として架け替えられた。現在の橋は、昭和41年に高潮対策として架けられた橋である。
<所在地>川口1~江之子島1.土佐堀3
昭和7年(1932年)に土佐堀通と川口を結ぶために架けられた橋で、市電の路線としても使用された。67度近くの斜めに架けられたアーチ橋で、珍しい構造になっている。
<所在地>川口1~北区中之島6
中之島の西端と川口をつなぐ橋で、4つの河川(堂島川・土佐堀川・木津川・安治川)が合流する場所である。橋名の由来は、江戸時代に中之島西端のこの地まで蔵屋敷が建っていたからとされる。橋は明治初年に架けられ、明治42年(1909年)市電敷設のため架け替え、大正10年に改修、昭和38年にも改修さえ、現在の橋となっている。
<所在地>土佐堀3~北区中之島6
<撮影日>2013.3.19
貞享2年(1685年)から堂島川開削が始まり、埋立地が出来るようになり、元禄の頃、中之島西端のこの地も埋め立てられ、湊橋が架けられた。現在の橋は、昭和57年に架けられた橋である。
<所在地>土佐堀2~北区中之島5
<撮影日>203.3.19
橋の北詰に肥後・細川越中守の蔵屋敷があったので、この橋名になったとされる。この橋は中之島の南側に架かる橋としては最も古く、明暦3年(1657年)の地図に橋名が記載されている。昭和4年に鋼鉄製の橋となり、昭和39年に歩行者専用橋となる。