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(所在地)中之島5-3
(撮影日)2013.5.6
享保3年(1718年)、この地にあった高松藩蔵屋敷で生まれ、13歳で法楽寺(東住吉区)にて出家し、住職から梵語を学んだ。18歳の時に、伊藤東涯から儒学を学び、元文4年(1739年)、法楽寺の住職となったが、2年後、住職を同門に譲り、信州の寺で2年間の禅修業後、帰阪して「正方律」という僧侶としてあるべき姿を説いた。宝暦8年(1758年)から生駒山中の草庵で梵語研究に没頭し、「梵学律梁」を著した。文化元年(1804年)、87歳で没した。
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