(所在地)天満1-1-79
(撮影日)2009.9.10
明治元年(1868年)、明治政府は貨幣製造のため、この地に貨幣工場の建設を始め、明治3年に工場は完成し、銀貨製造を開始した。明治4年に正式に大蔵省造幣寮として創業式を行い、明治10年に名称を造幣局と改称した。平成15年(2003年)に独立行政法人となる。造幣局では、硬貨・勲章・金属工芸品などを製造している。
※本館
昭和13年(1938年)竣工
※造幣博物館
明治44年(1911年)に火力発電所として建てられたレンガ造りの西洋風の建物である。昭和44年(1969年)、建物の保存と貨幣などの公開及び貨幣事業の紹介のため開館した。平成20年に改装のため閉館し、翌年、開館した。 ※月~金 開館(通り抜き期間は閉館)
※創業時の圧印機
慶応4年(1868年)、イギリスの香港造幣局から購入したフランス製の機械で、創業当初、貨幣製造に使われていた。
※造幣局旧正門・旧衛兵詰所
明治4年(1871年)の創設当時の正門で、西脇の建物は衛兵詰所である。昭和42年に大阪市顕彰史跡に指定された。
※レンガ塀
大正時代初めに造られたこのレンガ塀は、北宿舎と滝川幼稚園の境にあった塀で、当時の積み方で再現して展示してある。
※欽明門・鉄柵
明治5年(1872年)、明治天皇が造幣局に行幸された時に、造幣局の桟橋から上陸され、この門を通られた。 鉄柵は、明治元年に後藤象二郎が大阪城内に動物園を開園するためにイギリスから輸入した鉄柵を譲り受け、雪置した。
※明治天皇聖蠋碑
明治天皇は造幣局に三度、行幸されている。最初は明治5年、二度目は明治10年、三度目は明治31年である。この碑は明治天皇の行幸を記念して建立された。
※創業当時のガス燈(北側)
明治4年(1871年)に創業した造幣局内の石炭ガス工場からのガスで局内の照明を行っていた。この一対のガス燈は「金銀貨幣工場」前に設置されていたもので、昭和設備として使用された日本で最初のものである。
※ガス燈(南側)
※花の里塚(本田渓花坊句碑)
川柳家であった渓花坊が通り抜けの情慶を詠んだ句を昭和39年(1964年)に句碑として建立した。 「大阪に 花の里あり 通り抜け」
※めがね橋
創業当時に、大川から構内に入り、構内の堀に架かって石造の橋で、中央部分に膨らみがあり眼鏡に似ていたから、この名がついた。昭和32年に朱色に改装された。
※通り抜け由来碑
明治16年(1883年)、当時の局長の提案により、桜並木の一般公開が始まった。毎年4月の一週間のみ、構内の南門から北門の約560mの桜並木を通り抜ける。
※藤棚
明治天皇が造幣局に行幸した時に生け花として飾られた藤をさし木で植えたもの
※みゆき橋跡
大川に面していたので、搬入口であった。