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天満宮には2カ所に文庫があり、第一文庫は境内北西にある。江戸時代中頃、大阪で書籍出版をしていた商人達が初版本を奉納するようになり、その書籍を納めるために蔵が建てられ、運営のため「天満御文庫講」が組織された。後に、住吉大社の御文庫講と一緒になり、「大阪書林御文庫講」が組織された。天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱で文庫は焼失したが、市中から書籍を集め、再び文庫を復活させ、現在に至る。
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