大坂城主の松平忠明が徳川家康没後の翌年の元和3年(1617年)に天満川崎に東照宮を造営した。明治6年(1873年)に廃社となったが、境内にあった灯篭などが天満宮に移された。灯篭は当初は4基あったが1基は所在不明となり、天満宮には3基が存在し、登龍門東西に1基づつあり、1基は梅花殿南側の中庭にある。
« 寝牛 ※4カ所 北区 | メイン | 西山宗因向栄庵跡碑 北区 »
最後に、下の画像の中に見える文字と数字を入力してください。これはプログラムを使ってコメントを自動的に投稿するのを防ぐために行われています。
画像を読み取れない場合は 別の画像を表示してください。
コメントは記事の投稿者が承認してから表示されます。
アカウント情報
(名前は必須です。メールアドレスは公開されません。)
コメント