(所在地)長柄西2-12-5(光明寺)
(撮影日)2016.3.17
松野家は代々田安家の勘定方を務める家で、登十郎も幕府の勘定方として努めていたが、文政3年(1820年)に田安家の領地であった南長柄の代官に任じられた。着任早々から難題が多くあり、年貢の増額による農民の不満や、その後の天候不順や天災による凶作が続き、農民の困窮を見かねた登十郎は田安家に対して農民救済を願い出るが一切認められず、文政8年3月17日に年貢減免の上申書を記し、屋敷で割腹した。享年48歳。この一件で松野家は廃絶となったが、年貢は三年間免除され、農民は救済された。
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