« 旧川崎東照宮の灯篭 ※3カ所 北区 | メイン | 西山宗因句碑 ※2カ所 北区 »
慶長10年(1605年)肥後国八代で生まれで、江戸時代前期の連歌師・俳人である。俳諧では梅翁など号し、連歌は宗因と号していた。熊本の加藤家に仕える武士で、主君の命により上京し、連歌師里村昌琢の指導を受けた。その後、お家が改易となったが、里村家の推挙で正保4年(1647年)に大阪天満宮連歌所宗匠となった。明暦3年(1657年)、この地に向栄庵を開いて連歌・俳譜の革新となる「談林派」を率いた。
この記事へのコメントは終了しました。
コメント