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(所在地)天神橋8(長柄橋南東詰)
(撮影日)2011.10.20
昭和20年6月7日、第3次大阪大空襲では大阪市北東部を主に多大な被害を受け約一万人が死傷し、約6万戸の家屋が被災した。この時、地域住民も長柄橋付近に避難していたが、爆弾や機銃掃射によって約400名が亡くなった。昭和57年に3代目の橋が完成した時に、被害者慰霊のための慰霊碑と、2代目の長柄橋の橋脚に残る弾痕跡を記念碑として建立した。
(所在地)天神橋4-3-1
(撮影日)2015.7.10
以前、この地は錦町という町名で、広大な地域であったため錦町と南錦町に二分され、後に、町名変更に伴い天神橋となったが、この地蔵尊は以前の町名のままである。この地蔵尊は地域の人あ所有していた地蔵をお祀りしたのが始まりである。祠の右側に夫婦橋橋名柱が、左側に西喜橋橋名柱がある。
(所在地)夫婦橋4-3-1(錦地蔵尊横)
天保9年(1838年)、天満堀川が延伸された時に架けられた橋で、前からあった「女夫池(めおといけ)」という池の名にちなんで名づけなれたと思われる。昭和47年(1972年)、高速道工事のため天満堀川は埋め立てられ、橋名柱は錦地蔵尊の横に残された。
(所在地)夫婦橋4(夫婦橋西側)
(撮影日)2012.10.3
古くからこの地にあったと思われる地蔵尊で、この地域の道路整備工事の時に移転することとなり、九品寺(同心1)に約一年の間移されていたが、工事完成後、再びこの地で祀られた。
(所在地)天神橋3・4(天神橋商店街と扇町通の交差点)
慶長3年(1598年)から掘られた天満堀川は、菅原町から扇町までの堀川であったが、天保9年(1838年)に扇町から樋ノ口まで掘られ大川と結ばれ、架けられた橋が「夫婦橋」である。この地には古く「朝来池」という池があり、後に、もう一カ所そばに池が掘られ、二つを合わせて「女夫池(夫婦池」と呼ばれるのは、この池にまつわる夫婦の悲話からつけられた。
(所在地)天神橋2-1-34
(撮影日)2009.4.6
平成18年(2006年)に開席した上方落語の寄席で、落語・漫才などが行われている。用地は大阪天満宮の無償提供で、建物は寄付金で賄われた。
※天満宮の行宮(御旅所)は寛永年間(1624年~1645年)に京都堀川にできたが、その後、戎島に移転した。明治4年(1871年)には千代崎の現在の地に移った。
※境内の北側にある門で、直進すると亀の池にあたるため、この門名になった。
※天神橋と同様の歴史を歩んできた橋で、橋名飾板は天神橋と同じで日本製の鋳鉄でできている。この2橋の橋名板が、ここにあるのかは不明である。
※江戸時代には、浪華三大橋の一つとされた橋である。明治18年の淀川大洪水で流失したため、鋼鉄製の橋となり、昭和9年にはアーチ橋となった。この橋名板は明治期の鋼鉄製の橋に掛けられていたもので、日本製の鋳鉄でできている。