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※臥牛(がぎゅう)表門西側
昭和14年(1939年)、ビフテキのスエヒロの経営者が翌年の創業30周年を記念して奉納した。別称、スエヒロの石牛像
※青銅牛(駐車場横)
駐車場脇にあり、天満宮で唯一、参拝者が撫でることができる牛像である。この像は昭和30年代に個人が奉納した。
※天保の石牛(住吉社横)
天保11年(1840年)に奉納された石牛像
※古石牛(白米社裏)
この石牛のことは不詳であるが、昆布商と刻まれた台石の上に置かれている。
※本殿と神楽殿を結ぶ高床になった廊下で、「渡殿」と呼ばれる。屋根は銅板葺きの権現造り風で、床下を地面から見上げると梅の花らしき木彫がある。
※表門(大門)の天井にあり、方位に基づいて十二支が描かれている。ただ、西の方角は鶏ではなく、鳳凰になっている。これは、道真公が太宰府に向かう途中、道成寺に立ち寄り、宿泊した翌朝に鶏に出立をせかされたという逸話から鶏は忌み嫌われ、代わりに鳳凰となった。
境内西側の梅花学院1階にあり、菅原道真の障害をジオラマで紹介しており、廊下を歩いて見ていくように展示されている。名称である「菅家廊下」とは、平安時代前期に菅原氏が京都の邸宅で私塾を開いていたが、門下生が増えたため廊下も使って講義をすつようになった。この事から名づけられた名称と思われる。
天満宮には2カ所に文庫があり、第一文庫は境内北西にある。江戸時代中頃、大阪で書籍出版をしていた商人達が初版本を奉納するようになり、その書籍を納めるために蔵が建てられ、運営のため「天満御文庫講」が組織された。後に、住吉大社の御文庫講と一緒になり、「大阪書林御文庫講」が組織された。天保8年(1837年)、大塩平八郎の乱で文庫は焼失したが、市中から書籍を集め、再び文庫を復活させ、現在に至る。
※西側
※東側
※境内の北東側にあるこの門をくぐると、すぐに霊符社があるところから、この門名になったと思われる。
※この門に入ってすぐに左側に戎社が祀られていたので「蛭子(戎)門」といわれる。戎社は境内北西側に新たに建てられた「蛭子遷殿」に移った。
※境内の北西にある門で、石鳥居の門である。門名については不詳で、察するに、大塩の乱で焼失した建物を建てるために大工の出入りや建築資材を搬入するための門であったため門名になったのではないかと察する。