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(所在地)天神橋6-2-14(太田診療所南西角)
(撮影日)2017.7.23
大化の改新(645年)後、僧行基が大阪の七カ所に墓地を造り、大阪七基と称し、その墓地の一つがこの地にあった天満の葭原(よしはら)墓地である。その後、墓地守護のため浄土宗の西之坊という寺が建立され、地蔵尊・勢至菩薩・阿弥陀如来が祀られた。大正10年(1921年)、墓地は北市民館建設のため長柄墓地に移転したが、地蔵尊と御堂はこの地に残った。戦時中の空襲にも焼失を免れたが、平成15年に老朽化のため建て替えられた。
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