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(所在地)中之島2(淀屋橋北詰~肥後橋北詰)
(撮影日)2009.10.23
大阪市制100周年の記念事業の一つとして計画された遊歩道で、約400mの緑道沿いには公募で選ばれた10点の彫刻が設置されている。
(所在地)北区・都島区の大川沿い
(撮影日)2013.3.30
大川の毛馬閘門から天神橋までの約4.2kmの両岸にある公園で、大正12年(1923年)に開園した。桜宮神社前の大川両岸の桜は江戸時代頃には桜の名所として有名であったが、明治期の大洪水で壊滅的な被害を受けた。その後、造幣局の桜の通り抜けが評判となり、両岸の桜も整備されて大阪の桜の名所となった。
(所在地)中之島1
(撮影日)2014.9.12
中之島公園東端の土佐堀川と堂島川に分岐する地点にある噴水で、水都大阪2009のイベントに合わせ安藤忠雄氏の構想で作られた。2011年に噴水カバーを公募により変更され、現在の外装になった。
(撮影日)2016.5.13
中之島の東側にある公園で、明治24年(1891年)に大阪市の最初の公営公園として開園し、開園時には公園西側に豊国神社があった。大正期に大川浚渫の土砂を埋め立て現在の形になり、平成21年に公園整備が完了し、ばら園を主とする公園となった。
(所在地)末広町1-5
(撮影日)2013.4.16
元和元年(1616年)、柏原船の船株主の三田浄久が、甥を僧侶して開創したのが始まりである。加藤清正との関わりから「清正公」の信仰で知られている。昭和20年の大阪大空襲で寺は全焼したが、昭和40年に再建された。
(所在地)与力町1-7
(撮影日)2017.9.13
天文23年(1554年)、大坂豊津にて臨済宗大徳寺派に寺として開創したが、慶長2年(1597年)に天満東寺町(現在地)に移転して曹洞宗の寺となった。昭和20年の大阪大空襲で寺は全焼したが、昭和45年、鉄筋コンクリート造りの寺として再建された。境内墓地には感化院の創設者池上雪枝の墓がある。
(所在地)大深町2-189(JR西日本労働組合本社総本部南側)
明治7年(1874年)、大阪・神戸間の鉄道が開通した時にできた駅で、当初は旅客よりも貨物の取扱が多かったが、旅客の増加に伴い、昭和3年(1928年)に分離され、旅客駅は「大阪駅」と呼ばれた。平成25年に閉鎖となり梅田信号所となった。
(所在地)兎我野町14-3
(撮影日)2017.3.4
文禄年間(1592年~1596年)、日蓮宗日政上人がこの地に開創したのが始まりで、江戸期に三度の火災に遭ったが、その度、再建された。昭和20年の大阪大空襲で経蔵以外は焼失したが、再び、再建された。平成7年の阪神・淡路大震災でも大きな被害を受けたが再建され、今に至っている。境内の墓には新選組槍術指南役谷萬太郎、近藤勇の養子であった谷周平、二人の兄である谷三十郎の谷三兄弟の墓がある。
(所在地)中之島6-2-57(大阪支社駐車場棟1階)
(撮影日)2017.9.10
平成14年(2002年)、味の素大阪支社の建設前に発掘調査が行われ、江戸期の藩の蔵屋敷跡からは川からの物資搬入のための船入りや水路跡が見つかり、他にも、多数の陶磁器などが見つかった。また、18世紀末初めの地層からは焼けた土があり、大きな火事があった事も発見された。
(所在地)同心1-1-5
(撮影日)2013.3.20
浄土宗の天誉滴翠(てんよてきすい)上人が天正11年(1583年)、大坂松江町に創建した寺院で、京都知恩院二十八世浩誉聡補上人から「専念寺」という寺号を授かった。元和2年(1616年)、徳川の命により、天満東寺町(現在地)に移転した。江戸期、三度の火災にあい、そのつど再建を果たしたが、昭和20年(1945年)、大阪大空襲の時に山門以外焼失した。昭和50年(1975年)に本堂が再建され、塔屋には「三心(さんじん)の鐘」という音色の異なる三つの鐘があり、大晦日には一般に開放している。