<所在地>南堀江1-26-26
<撮影日>2012.4.23
この地は、高津神社の御供田であったが、元禄12年(1699年)博労町の難波神社のものとなる。明治40年に由加神社(岡山県倉敷市)の境外末社で、西道頓堀にあった堀江神社を合祀した。
<所在地>南堀江1-13(堀江公園)
元禄11年(1698年)西横堀川と木津川をつなぐ掘江川が河村瑞賢によって開削され、堀江新地ができた。 新地での幕府の優遇策により、色々な文化などが起こり、学者や文化人を生み出した。昭和35年(1960年)に市街地開発のため埋め立てられた。
<所在地>白髪橋交差点東側緑地
<撮影日>2009.6.9
元和年間(1622年頃)に土佐藩の懇願により、立売堀川で木材市が始まり、その後、西横堀川の白髪町に土佐藩が蔵屋敷を構えると、この地でも市が許可され、諸国の材木が集まるようになり、川の両側に木材商が店を構え、昭和にいたるまで材木市が開かれていた。
<撮影日>2012.5.5
西長堀川に架かっていた橋で、開削完成から明暦元年(1655年)の間に架けられた橋である。土佐藩が自国の「白髪山」のヒノキを売るために、この地に市場を設けたので、橋名になったとされる。
<所在地>問屋橋交差点西側
長堀川が開削された寛永2年(1625年)から明暦元年(1655年)の間に架けられた橋で、橋の周辺のは多くの木材問屋があり、これらの問屋が協力して架橋したので、問屋橋という名になった。
<所在地>西大橋交差点南東側緑地
<撮影日>2012.9.5
西長堀川の完成と共に架かっていた橋で、宇和島藩の蔵屋敷が橋お南側にあったので、橋名となった。橋の北側は新町廓の長堀口番所に通じていた。昭和45年に川の埋め立てと共に撤去されたが、親柱と間柱の各2基は昭和52年に宇和島市に寄贈。
<所在地>西大橋交差点西側
西長堀川の宇和島橋と富田屋橋の中間に架かっていた橋で、現在は「なにわ筋」と「長堀通」の交差点になっている。