<所在地>立売堀2-2(阿波座南公園)
<撮影日>2011.11.14
商業で発展していた大阪に商業学校が無かったため明治13年(1880年)五代友厚によって、この地にあった町会所を校舎として、開設されてあ商業教育機関である。翌年に大阪府に移管され、江戸堀に移転した。後の、大阪市大・大商大・大阪商業の元となる。
<所在地>立売堀2-5-26
<撮影日>2012.6.25
日本の万年筆業界の創始者である田中富三郎が、故郷(津山市加茂町)の神社の古い祠を再興し、サムハラ神を祀ったのが始まりで、その後、昭和25年大阪中之島に神社を建立したが、昭和36年に現在地に移転した。
<所在地>土佐堀3-5(湊橋西詰)
西本輝の「泥の河」の一節を碑文んした文学碑で、平成23年に建てられた。幼少期を過ごした土佐堀川周辺を書いた小説で、この作品で「太宰治賞」を昭和52年(1977年)に受賞した。
<所在地>土佐堀3-3-17
ビルに挟まれてある稲荷社で、詳しい事は不明であるが、この地が元蔵屋敷跡であるところから、江戸堀の荒光稲荷社と同様に屋敷神であったとも思われる。
<所在地>土佐堀2-4-9(三井倉庫西側)
<撮影日>2009.7.11
明治5年(1872年)司法省管制による臨時・司法・出張・府県・区の5つの裁判所のうち司法裁判所と改称し、明治8年(1875年)全国4ヶ所に設置された。当初は旧金沢邸で開庁されたが、翌年に薩摩藩蔵屋敷跡である当地に移転した。
<所在地>土佐堀2-4-9(三井倉庫南側)
<撮影日>2009.8.16
薩摩藩は大坂に蔵屋敷を3ヶ所に構えていたが、この地の屋敷は「上屋敷」で、他に「中屋敷」・「下屋敷」があった。明治元年(1868年)幕府からの蔵屋敷の明け渡し要求を拒否したため、会津藩兵の襲撃を知り、屋敷に火をつけて消失させた。
<所在地>土佐堀1-1-4
<撮影日>2012.6.14
昭和5年(1930年)神戸の岡本公会堂や摩耶観光ホテルの設計をした今北乙吉の設計で建てられた。正式名称は「山内香法律特許事務所」という、平成12年(2000年)国登録有形文化財に指定された。
<所在地>土佐堀1-5-10
<撮影日>2012.6.18
明治4年(1871年)廃藩置県で廃止された蔵屋敷を長州藩主毛利敬親が高野耶麻金剛峯寺に寄進したので、高野山は準別格本山「三蔵院」を明治13年にこの地に移転して高野寺と改称し、毛利家歴代藩主を祀った。以後、高野寺三蔵院は長州大師とも呼ばれるようになった。