<所在地>靭本町1.2
<撮影日>2012.6.29
昭和6年に閉鎖された靭海産物市場などの跡地で、戦後、占領軍により約3万坪が接収され、常用飛行場となったが、昭和27年の講和条約発効により、大阪市に返還された。同年には公園工事に着工し、昭和30年に開園した。
*飛行場跡説明石碑
この公園がもと飛行場であったことを示す碑で、公園の整地を失業対策事業で行ったことを記してある。
*桜並木
<所在地>靭本町1-20(なにわ筋歩道上)
寛永元年(1624年)商人によって開削された海部堀川に架かっていた6橋のうちの2橋である。永代橋は永代浜に通じる橋で、大正2年に市電敷設のため架け替えられた。門樋橋は開削当初は水門であった橋である。昭和26年に2橋とも海部堀川の埋め立てにより姿を消した。
<所在地>靭本町1-11(信濃橋交差点北西側)
<撮影日>2012.5.5
大正13年(1924年)大阪出身の小出檜重らの新進洋画家が中心となってこの地で開設し、多くの画家を輩出した。昭和6年には中之島移転し、中之島研究所と改称した。昭和19年に戦争激化のため閉鎖された。