*史跡全景
<所在地>江戸堀2-8-29(花乃井中学校北東角)
<撮影日>2009.8.16
この地は江戸時代に津和野藩蔵屋敷があった所で屋敷内にあったこの井戸からは良質な水が湧いていた。 明治元年(1868年)明治天皇の大阪行幸の際、津和別院(北御堂)行在所に「玉水」として献上され、「此花乃井」の名称が与えられた。大正13年に旧江戸堀小学校の校舎工事のため、石蓋をされ埋められ、現在地に旧跡として保存された。
*井戸の井桁
*花乃井橋跡
江戸堀川に大正9年(1920年)市電開通のために架けられた橋で、昭和30年に江戸堀川は埋められ、橋も無くなったが橋柱は保存された。
*江戸堀尋常小学校跡碑
明治5年(1872年)に津和野藩蔵屋敷跡に建てられた学校で、昭和21年(1946年)西船場小学校に統合され、廃校となる。昭和24年花乃井中学とした開校した。
<所在地>江戸堀2-6-33(江戸堀フコク生命ビル前)
幕末期に医学・儒学・西洋兵学などに通じていた人物で、弘化3年(1846年)大坂に来て適塾に入塾し、一時は長崎で学ぶが嘉永2年(1849年)帰阪後26歳で適塾の塾頭となる。塾頭の時、この地にあった倉敷屋作衛門の屋敷に寄宿していた。翌年に父親の懇願により、長州に戻り村医となる。
<所在地>江戸堀1-16(肥後橋商店街中程)
<撮影日>2011.11.14
土佐堀川と江戸堀川の間にあたるこの地は、江戸時代には三田藩蔵屋敷があり、この稲荷神社は明治4年(1871年)に蔵屋敷が廃止まで、屋敷神であったと思われている。