<所在地>土佐堀1.2~北区中之島4.5
<撮影日>2013.3.19
江戸時代、中之島にあった筑前黒田藩蔵屋敷への通行のために架けられた橋で、現在の場所より少し上流にあり、藩関係者以外の通行制限があったため、筑前殿橋とも呼ばれていた。明治になって田蓑橋と結ぶため、今の場所に移された。現在の橋は昭和7年(1932年)に架けられた橋である。
<所在地>土佐堀1~北区中之島3.4
<所在地>土佐堀~北区中之島2.3
<撮影日>2012.11.18
江戸時代に、肥後熊本藩の蔵屋敷が橋の北詰側にあった所から由来している橋名とされる。元禄期に蔵屋敷は越中橋北詰に移転したが、橋名は残った。橋は三井住友銀行大阪本店前から中之島に架かっていたが、明治21年(1888年)堂島川に架かる渡辺橋と対となる今の場所に移動した。
<所在地>土佐堀~北区中之島2
<撮影日>2012.6.29
昭和6年(1931年)大阪市内に6ヶ所設置された可動堰の一つとして造られ、土佐堀川可動堰(水位調整のための堰)と称し、上部は歩行者専用の橋として使用されていた。昭和53年(1978年)には稼動堰としての役目は終わり、昭和60年(1985年)橋の美化改修がされ、橋名が新たに命名され「錦橋」となった。
<所在地>北堀江4-3-2
<撮影日>不明