※天満宮の行宮(御旅所)は寛永年間(1624年~1645年)に京都堀川にできたが、その後、戎島に移転した。明治4年(1871年)には千代崎の現在の地に移った。
※境内の北側にある門で、直進すると亀の池にあたるため、この門名になった。
※天神橋と同様の歴史を歩んできた橋で、橋名飾板は天神橋と同じで日本製の鋳鉄でできている。この2橋の橋名板が、ここにあるのかは不明である。
※江戸時代には、浪華三大橋の一つとされた橋である。明治18年の淀川大洪水で流失したため、鋼鉄製の橋となり、昭和9年にはアーチ橋となった。この橋名板は明治期の鋼鉄製の橋に掛けられていたもので、日本製の鋳鉄でできている。
※川崎東照宮の風輦の神輿を収納していた庫である。風輦とは、天皇専用の車で、屋根に鳳凰の飾りがついている。
※徳川家康が元和2年(1616年)に死去した翌年に、大坂城主の松平忠明が天満川崎に東照宮を造営した。明治維新後、明治6年(1873年)に廃社と決まったが、地元民は再建を願い北野東光院に風輦・灯籠を移したが、再建ならず、昭和9年に大阪天満宮に寄付された。
※御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)で、福徳神・穀霊神として信仰されていた神である。昭和初めの頃にあった社を再建した。
※大阪天満宮の神職や氏子・崇敬者の祖霊を祀っている。昭和57年建立
※天満宮で最古の石鳥居とされ、安政8年(1779年)に宇賀社の鳥居として建立された。
※亀の池の架かる橋で、愛嬌橋とも呼ばれ、この橋の上で出会った男女は、星の力で結ばれるといわれる。