27121-61
八幡宮社号標石
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(所在地)公園南矢田3-14(共同墓地内)
(撮影日)2011.10.18
この地域では布教や社会事業を行っていた行基にまつわる様々な伝承が残っており、阿麻美許曹神社にあった寺に居住していたとも伝わる。行基は天平21年(749年)に入滅、基は生駒の竹林院にあるので、この墓は後世に建てられた供養墓と思われる。
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教訓の墓
大笠吉五郎氏の墓で、墓石の左側面に暗号めいた文字が刻んである。意味は「人には辛抱が一番(第一)」文字を上から重ねると「金」という字になり、子孫に対しての教えとしている。
(所在地)東野田町3-2
(撮影日)2011.12.15
江戸時代頃、大阪の7ヶ所の墓地を供養のために巡る「七墓巡り」の墓地の一つが浦生墓地であった。この行事は、明治の初め頃まで続いていたが、墓地の移転などで消滅した。現在でも残っている墓地は、浦生と南浜の2ヶ所だけである。
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六地蔵尊
墓地入口付近にあり、文化13年(1813年)建立
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拡幅された歩道
(所在地)中野町4(源八橋南側中ほど)
(撮影日)2011.11.8
昭和11年に橋が出来るまで、この地には橋はなく、江戸時代頃(元禄の頃)にあったとされる「源八渡し」が唯一の交通手段であった。この碑は平成10年の歩道拡幅工事完成に伴い設置された。
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顕彰碑・句碑
橋の都島側は昔、桜と梅の名所であった。蕪村の句はその頃のことを詠んだ 源八を わたりてうめの あるじかな
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源八橋
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(所在地)網島町1
(撮影日)2010.5.6
昭和53年に完成した斜張橋で、網島と天満を結ぶ自転車・歩行者専用橋になっており、浪速の名橋50選にも運ばれている。江戸時代頃には川崎の渡しがあった。明治10年に橋が架けられたが、明治18年の大洪水で流され、以後再建されなかった橋である。
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