所在地:東小橋3-8-14
撮影日:2009.4.10
垂仁天皇2年に愛来目山(天王寺区小橋町)に下照比賣命(したてるひめのみこと)を祀り、「高津天神」と称したのが始まりとされる。石山合戦で社殿は焼失し、今の場所に移った。元の場所は境外社の産湯稲荷神社所と推定されている。
27115-36
所在地:深江南3-16-28
文保2年(1318年)に大念仏寺(平野区)7世住職で融通大念仏宗の中興の祖であった法明上人が両親の菩提のため開基した。江戸時代になり荒廃していた寺は再建された。
雁塚(2基) 弓の名手であった清原刑部丞正次が冬の日に狩りに出かけ一羽の雁を射ち落としたが、その雁には頭がなかったが、翌年の冬n射ち落とした雌の雁の羽の下から雄の頭が出てきた。 その美談を聞いた法明上人が石塔を建立した。
延元4年(1339年)建立
弘長2年(1262年)建立
山門
本堂
所在地:深江南3-16-17
和同年間(708~715)の創建で、旧深江村の氏神であった。慶長8年(1603年)に豊臣秀頼の命により焼失、その後再興し、明治5年村社になった。
社殿
摂津笠縫邑後(右) 笠縫氏が大和国から菅(すげ)の多い深江の地に移り住んだ。
深江菅笠ゆかりの地(左) 菅笠の産地として深江は伊勢音頭で歌われるほど有名であった。