3 27103-34
27103-30
(所在地)海老江6-4(海老江中公園内)
(撮影日)2011.3.8
明治18年(1885年)の大水害後、幾度も水害が続いたため、明治29年に淀川大改修工事を開始して明治43年(1909年)に完成した。この工事で中津川流域の海老江村北部が新淀川の河床になった。「疏河紀恩之碑」と書かれた、この碑は明治41年に建立された。
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27103-27
(所在地)海老江3-17-3
(撮影日)2011.3.11
江戸時代の初めの頃、この海老江の地は尼崎城主青山大膳の鷹狩りの地であったが、白蛇が住みついているとの言い伝えから、お社が建てられた。
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(所在地)海老江3-17
終戦後の昭和20年に焼け跡から掘り出された地蔵で、この地に安置されていたが、昭和33年に地蔵堂が建てられた。聖徳太子の十七条憲法の「和を以って貴しと為す」から名がついた。
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(所在地)海老江6-8-14
江戸中期の天文学者であった、間重富は麻田剛立の塾で天文学を学び、天文関係の資料、機器などを多く残した。羽間文庫はその天文関係資料などを保存していたが、大阪市立博物館に寄贈した。
鷹野地蔵 27103-23
道標 27103-25