27103-121
(所在地)福島1-1
(撮影日)2009.7.11
豊前中津藩の藩士福沢百助の5番目の末子として、天保5年(1835年)にこの地で生まれた。天保7年に父が他界したので、一家で中津に帰郷した。その後、安政2年(1855年)に適塾に入塾し、22歳で塾長となる。慶応4年(1868年)慶応義塾を開設。
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学問のすすめの碑 27103-123
全17編で17万分冊の本で、明治5年(1872)初版出版され、明治9年に17編全編ができた。
有名な一節は、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。
豊前中津藩蔵屋敷跡 27103-124
江戸時代には堂島川の両側には諸藩の蔵屋敷があった
正面鳥居 27103-117
本殿 27103-118
吉高稲荷神社 27103-119
住吉神社 27103-120
27103-116
(所在地)福島2-8-1
(撮影日)2011.3.11
社伝によれば、菅原道真が大宰府に向かう途中にこの地に立ち寄り、もてなしに感激して自分の姿を描き、それをお祀りしたのが始まりとされる。又、大阪天満宮の行宮跡とされる、福島三天神の「上の天神」で、戦前は「天満宮上之宮」と称していたが、戦災で消失した「中の天神」を合祀して、福島天満宮と改称した。
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(所在地)福島2-2-4
(撮影日)2011.3.8
源平合戦の時に、源義経は屋島での戦いを船で攻めようと考え、評議していると、参謀の梶原景時が船を自由自在に動かせるように、船首にも櫓(逆櫓)をつけることを提案したが、義経は拒否して屋島で戦い勝利した。その評議をした場所で、樹齢千年をこす松があったので、逆櫓の松と呼ばれた。