27121-92
(所在地)針中野3-2-17
(撮影日)2011.10.17
平安時代初期、弘法大使が当家に宿を借りたお礼として、鍼とつぼを示す木像と金針を授けられた。初代の治平氏から約1200年も続く鍼灸院で、今は43代目である。明治の頃には「中野鍼まいり」として、大勢の人々が治療に訪れ、敷地内に宿舎も建てられた。大正時代には、鉄道(現南大阪線)の開通に41代目が尽力したので、最寄り駅の駅名が「針中野」となり、地名としても使われている。
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表門
「なかのはり」の看板
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27121-95
裏門
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中野針灸院
現在営業している建物
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控所
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(所在地)針中野3-2
(撮影日)2009.4.17
南海平野線が大正3年(1914年)に開通した時に、中野駅から中野針灸院までの道の辻に7基の「はりみち」道標が建てられた。昭和55年に平野線は廃線になったが、今でも2基の道標は残っている。
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西鳥居
(所在地)針中野2-3-58
創建は不詳であるが、平安時代初期の書物でえ「三位実録」には、貞観4年(862年)清和天皇が従五位の神階を授けたとあり、山阪神社が田辺西神とされ、中井神社は田辺東神と記されている。明治初期までは、牛頭(こず)天王社と称していたが、中井神社と改称した。
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東鳥居