2 27103-122
学問のすすめの碑 27103-123
全17編で17万分冊の本で、明治5年(1872)初版出版され、明治9年に17編全編ができた。
有名な一節は、アメリカ合衆国の独立宣言からの引用である。
豊前中津藩蔵屋敷跡 27103-124
江戸時代には堂島川の両側には諸藩の蔵屋敷があった
27103-111
(所在地)大開2-1-5
(撮影日)2011.3.8
この句は元禄時代に芭蕉が伊勢の西行谷を訪れた時に詠んだ句で、碑は西行谷旧跡にあったが、昭和33年(1958年)に現在地に移された。
芋洗う女 西行ならば 歌よまむ
2 27103-112
松下幸之助氏直筆による「道」と記された碑 27103-108
(所在地)大開1-18(大開公園内)
(撮影日)2011.2.21
松下幸之助が大正7年(1918年)に、この大開の地で松下電気器具製作所を創業した。昭和8年に事業拡大のため、門真に移転するまでの15年間この地で事業活動していた。この碑は、平成16年に氏の生誕110年を記念して建立された。
幸子夫直筆の書 27103-109
道標 27103-102
27103-92
(所在地)玉川4-5-17(玉川コミュニティセンター)
(撮影日)2008.7.2
天文2年(1533年)に石山本願寺から野田・福島を訪れてた証如上人は、敵兵に襲われ危急時に、この地一向宗(浄土真宗)の門徒たちが、上人を助けた。その時に門徒21人が犠牲になった。この碑は昭和15年(1940年)に建てられた。
證如上人御由緒と刻んだ灯篭 27103-89
(所在地)玉川4-4-25(円満寺山門前)
(撮影日)2008.6.16
21人が証如上人を助けるために、討死したと聞いた上人は野田村の門徒(一向宗)に対して感謝の意で送ったのが、「野田御書」である。翌年の天文3年(1534年)上人の懇願により、犠牲者の菩提を弔なうため坊舎が建てられた、これが円満寺の始まりである。