野田城跡碑 27103-84
城の正確な場所は不明ではあるが、明治初期まで城の内、弓場などの城を連想させる地名が残っていた。
この付近は旧名奥之町と呼ばれ、城中心部であったと推定されている。
2 27103-86
證如上人旧跡 27103-87
2 27103-88
27103-82
(所在地)玉川4-11-15
(撮影日)2010.4.28
城の始まりは、享保4年(1531年)に三好方の浦上氏が築き、元亀元年(1570年)に石山合戦になり、織田信長との戦いのため、三好方は城を改築し増強したが、天正4年(1576年)織田方の攻撃により落城した。その後、織田方の重要な拠点になった。
野田の藤跡 27103-81
この碑の側面には、貞治3年(1364)に藤見物のため訪れた室町幕府二代将軍足利善詮の歌が刻まれている。
紫の雲とやいはむ藤の花 野にも山にもいぞかかれる
(所在地)玉川2-2-7(春日神社内)
この地の藤は名所となり、「吉野の桜・野田の藤・高尾の紅葉」と称されていた。明治時代に植物学者牧野富太郎博士が、この藤を「ノダフジ」と命名した。戦災や高速道路建設のtめ一時消滅したが、地元住民の努力により、今では区内各所に藤棚がある。
2 27103-24
少彦名命がこの石を当地に運び、霊石としたという説と、
一夜で和歌の浦より住吉浜まで来たという説がある。
石に刻まれている「何首鳥」(カシュウ)は薬草の名の事。
所在地:今福2-1-53(今福小学校裏門前)
所在地:2009.4.15
野崎参りの参詣道として元禄kら明治末頃まで参詣者でにぎわった。
所在地:蒲生4-10-24
撮影日:2010.10.7
大峰山に行者修行に行く講(グループ)で、この講が元禄時代に洞川に宿泊した記録が残っているところから三百年以上前にあったと思われる。不動明王・役行者・弘法大師像は大正末期から昭和初期に建てられた。