<所在地>本田1-9-3
<撮影日>2009.10.10
慶安2年(1649年)九条島を開発した幕府役人香西哲雲によって建てられた寺で、朝鮮通信使の宿舎としても使われていた。寺名は九条開発の時に、「三股の竹」から阿弥陀仏が現れ、寺名としたとされる。
*金漢重(キムハンジュン)の墓
明治元年(1764年)に11回目の通信使として来日したが、病気になり22歳で当寺で亡くなった。
<所在地>九条1-1-17
<撮影日>2012.6.18
寛永元年(1624年)頃から九条島の新田開発が始まり、池山新兵衛が九条新田の守護神として、住吉大神を勧請してお祀りしたのが始まりとされる。「茨」の名は、この地に茨が群生していたという説などがあり、詳しい事は不明である。
*樟木(くすのき)の御霊
九条島が新田開発される前からこの地にあった樟で、樹齢約700年もあったが、戦災で焼失した。この樟は今でも御神木といて保存され、「焼け樟」と呼ばれている。
*市杵島姫神社(弁天社)
当神社の「かきつばたの池」にあった社で、摂津名所図会にも描かれている。昭和53年に御神木の傍らにお祀りするようになった。
<所在地>千代崎2-21-1
<撮影日>2012.3.14
大阪天満宮の行宮で、天神祭の船渡御が明治から昭和初期までは、この行宮まできていた。戦争中は祭りが中止となり、昭和24年に復活したが、地盤沈下で船が橋を通過できなくなり、昭和28年かr大川を遡上するルートになった。