<所在地>江之子島1-7
<撮影日>2009.7.11
元和3年(1617年)京の伏見から移住してきた町人達が開削した川で、当初は伏見川と呼ばれていた。元禄の頃には、川の北岸に雑喉場魚市場ができ、近辺の漁船が来るようになった。昭和30年に大阪府の防潮工事のため埋め立てられた。
<所在地>江之子島1-1(エルベロワイヤル西側)
江戸時代初期に戦乱で荒廃した大坂再生のため、松平忠明が、商人2名の保証による銀札を発行して資金調達を行い、元和3年(1617年)に開削し、西横堀川と木津川をつないだ。この堀川の開通により物流の利便性が良くなり、各藩の蔵屋敷ができた。
*流渓禅師の墓
*龍渓禅師水定遺跡
*亀の墓
寛文10年の開堂法要の時に、大亀が花を背負って祝福に来たという故事から、山号が「堂亀山」となったと伝わる。この墓は弘化4年(1847年)に13代目萬宗和尚が建立した。
*飯田直好の墓
海運業者で幕府御用達差配でもあった商人で、莫大な私財を安治側の治水や寺院再建などの社会貢献のために使った。
*大塚先生紀恩碑
明治15年に航海法を教える航海学校を設立した人物で、この碑は教え子が明治42年に建立した。
*猫地蔵
愛猫家の人が自宅が火災の時に猫に助けられたので、猫の死後、猫地蔵をつくり供養した。